こんにちは。オーストラリアのマーガレットリバー滞在(2016/3/2現在)美容師のbana(@baaaaaaana) です。
今回、海外で働く美容師として取材を受けましたのでどうぞご覧下さい!
いやすみません、自分でインタビュー方式の自己紹介を作ってみる事にしました。
ー職業として美容師を意識しはじめたのはいつごろですか?
本格的に考えたのは高校1年生の頃ですね。当時日韓ワールドカップでベッカムヘア全盛期。
でもベッカムヘアなら俺にもできんじゃね?って思って自分で切ってましたね。結局『ベッキャム』という微妙なあだ名を頂けたので、それなりに切れてたみたいですね。
中学時代は釣り、高校時代はサッカーばかりでした。プロサッカー選手もいいなぁと思ってたんですが、レギュラーにすらなれず、美容師を目指し始めました。
ーどのような高校生活だったのでしょうか?
高校は普通科。成績は下から数えた方が早かったですね。
小学校時代にやってたサッカーを再び始めて、2年生からは部活と両立しながら朝新聞配達のバイトをしはじめました。
朝3時に起きて、働いて、学校行って、部活して。自由時間というのはほとんどなかったですね。
修学旅行の日の朝も、試合の日の朝も働いてました。新聞は月に1日しか休みがないんですよ、しかも選挙やオリンピックがあると休まない。
部活を引退してからは美容学校も決まっていたので居酒屋でもバイトをして月に20万弱稼いでました。
その給料を貯めて、アメリカンのバイクを購入したんですけど買って満足したのであまり乗りませんでした。
ー東京に出てからというのは、やはり大変だったのでしょうか?
専門学校が大阪だったので、東京に出たのは20歳の時ですね。
専門学校時代は派遣や近所の美容室でバイトしたり、相変わらず多忙でした。
ですが、東京の青山のお店に就職してからの方がきつかったですね。早くて終電で帰って遅いと2時や3時。自転車通勤だったんですけど、通勤時間が惜しくて表参道のマクドナルドで一泊したり、帰りに寄った松屋で食べながら寝たり。。
さぞ練習したんでしょう?と思いますが、基本的に掃除とオーナーの講話がメインでした。11ヶ月働いたんですが、シャンプー入客すらすることなく退社する事になりました。新人が入社してくる時期でもあり事実上のクビでしたね。
その後、美容師を続けるかどうかの苦悩や仕事が決まらないなどの回り道をして再就職したのは12月。吉祥寺のお店でした。専門の同期は2年目が終わろうとする中の再スタートでかなり焦りましたね。。
でも、思い返すと一つ一つに意味があって大切な日々でしたね。後悔はしてません。
辞職、旅へ。

ー辞職後はどうしましたか?
毎日モバゲーでしたね。
ーは??
当時流行ってたモバゲーをガラケーで永遠にやって。住んでた6畳の部屋は悲壮感に包まれてました。軽い鬱のように思います。そしてこのままではダメだって思い立って実家のある大阪まで自転車で帰省することにしました。
600キロを3日で走破さるうちに自然に生きる気持ちが湧いてランニングハイみたいになり最終日は浜松から22時間ほぼ休憩なしで大阪まで走破しました。
それでも東京に戻ってきたのは仲間がいたからですね。じゃなきゃ『東京は怖かった』って行って大阪にすぐ帰ってたと思います。
ー日本一周はどうでしたか?
日本一周はしてませんので、沖縄の話をさせて頂きます。3月に退社し無職、フリーターと体験してやはり美容師だと再確認。
その後下北沢のお店で働くも本採用に至らず、再び無職になったその日に沖縄行きのチケットを取りました。
沖縄には結局3週間程滞在したんですが、その時の出会いで現在シドニーの仕事を紹介して頂けたり、人生何があるか分かりませんね。宿のスタッフの髪を切って、一泊泊まらせてくれたりと今でも鮮明に思い出せる直接体験でした。

そして沖縄から履歴書を送って面接に合わせて東京に戻りました。
ー後編こちら!banaさんの信念や尊敬する人物なと、彼の活動をささえるものについて迫っていきます。
[美容師 ばな :1986年生まれ、大阪府出身。高津理容美容専門学校卒業後、都内2店舗を経て2015年語学留学のフィジーを経由してシドニーで美容師として勤務。
FacebookやInstagramでの投稿も特に話題にならないので、日本のメディアに留まらず、タイや台湾などの海外メディアからもオファーが来ないので独自にインタビュー風の記事を制作。ブログの月間pvはせいぜい5000レベル]