目次
チャリティーカットをして思ったこと。
おれやで、バナやで。
前回の記事はこちら。
まずはボランティアとチャリティーの違いから。
チャリティーとは、募金を目的として活動することである。チャリティーは、ボランティア以外でも行われる。例えば、24時間テレビなどは、テレビ番組によって募金を募り、その集まった金額を寄付にあてるということである。チャリティーコンサートなどのイベントでは、営利目的ではなく、そのチケット代などで集まった資金を、特定の団体に寄付したり、新しい医療開発などのために役立てるために使われたりする。
それに対して、ボランティアというのは、無料奉仕活動のことであり、給料なしで、労働することによって、世の中の役に立つことである。日常的な、ボランティアでのゴミ拾いや清掃活動、そして子供達にボランティアで何かを教えるということがある。また、災害が起きたりして、人手を必要としている地に行って、無給でその人たちのために働くことも、ボランティアである。ー出典
チャリティーカット
ボランティアとチャリティーの違いが説明文を読んでもわからない僕ですが、個人的にチャリティーやボランティアカットに参加したのは3回目くらいです。
前は、日本の児童施設を訪問してカットしていました。
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純粋人の役に立ちたいなら金持ちになって寄付した方がはやいぞ。
かの有名なホリエモンか誰かが言っていた名言ですが、基本的にはこれに賛成です。
本質を突いてます。
隠れたところでさくっとお金を払っている人の方ってなんかかっこいいと感じるのです。
でも、今の僕にはさくっと数万円寄付するような財力はありません。
お金を得てないと何かをえようとする。
人間の脳の構造は、行動に理由が紐付いていないと、その行動に対して無理矢理自分で理由を見つけるものです。
●二度寝しちゃった→昨日疲れてたから仕方ない。
●仕事を本当は辞めたい→でも生きるためには仕事が必要。
●またお菓子食べちゃった→昨日食べてないから、昨日の分ね♪
では、ボランティアやチャリティーカットで給料をもらっていないとなるとどうなるか?
給料なしで働くなんて普通に考えればおかしい。でも無給で働いている自分に脳は何らかの理由を与えるのです。
●お客さんが笑顔になってくれた!→うれしい。
●きれいにカットできた!→うれしい。
●人から感謝された!→うれしい。
●この売り上げが、人のために使われる!→うれしい。
働いていると当たり前と言えば当たり前のことなのですが、お金をもらわないことにより、これらの感情がよりクリアに見えてきます。
無償で働いている『対価』を感じないと、脳内の辻褄がわないのです。
一言で言うと『いつもより楽しい』んです。
表向きは、奉仕や寄付するという一方通行の行いのように見えるけど、僕たちは『お金でない何か』を得てるのです。
結局誰得なの??
では具体的には誰が何を得したのかを見ていきましょう。
お客さんが得たもの
今回のチャリティーカットの料金は全てお客様が価値を決めるという、ドネーションスタイルで行われました。中国人の富裕層の方は定価以上の金額をお支払いされた人もいたようですが、基本的には定価よりも金額は下がります。
つまりお客様目線ではディスカウント得た事になります。
お得。
従業員が得たもの
お給料は出てませんが、先程言ったように充実感や社会の役に立てたと言う欲求は満たされています。
人間の欲の中には『社会の役に立ちたい』と言う欲求があります。
目に見えないけれど、特。
お店が得たもの
今回は、スミスファミリーと言う機関に募金しました。〇〇ドルが集まりました!と、書ける訳だし、チャリティーの時に来てくれた人が顧客になるかもしれません。
いわゆる、宣伝になる。特です。
チャリティーを行った者の責任として寄付した金額と寄付先を明記する必要があると思います。
今回のチャリティーイベントの売り上げと、お店に常設していた募金箱総額3,800ドル。それ+お店からの寄付金合わせて5,000ドル前後になるということです。公式なインフォメーションはまた追って追記させていただきます。
ボランティアリア充は発信するべき
お客様、スタッフ、お店、お金を振り込まれたチャリティー機関、全てが得をすることになります。
『やるからには成果を最大限出す!』
これは重要なことだと思います。
なので自分のブログやSNS等発信できるツールを使って、自分の活動を広めていく。周りの人を巻き込むということが必要です。
でもそうすると『ボランティアやチャリティーに対して否定的な人』からの意見が出てくる場合があります。
『無償でやってるのに楽しんでんじゃねーよ』と。
災害支援や後進国支援を「イベント」として「宣伝」のためにやってんじゃねーよとか、偽善者で支援される側の主張を聞いていないだとか。自己満足で楽しんでやってるだけだろとか。
一定数のアンチがいるんですよね。
でも先ほど書いたように、無償で社会の役に立ったと感じながらやる方が、脳は喜びを繊細に感じるのです。
なのでそこは開き直って「ボランティア楽しい!!」なんて言っちゃいましょう。1人に否定されても10人に私も参加しようかなー!って思われたらそれでいい。
仮に自分が1日働いた金額を全て寄付するとすると、1万円。
全額寄付するから髪切りに来てよ!って言って宣伝して、得た売り上げが、3万円。
だとすると、差額2万円は錬金術できる訳です。
ちなみに当日は、ブログのおかげもあって予約はフルで埋まって、お断りも3名の方にしてしまいました。ありがとうございました。
てか、本質は??
今回のチャリティーカット、平たく言うと富の再分配です。
自分の理想としては誰かがチャリティーやボランティアをしなくていいような世界。
お金を消費するだけで、僕たちは税金を払っているのだから。そのお金を必要としている人に届けてあげるだけでいいんだと思います。
通常の経済活動をしているだけで、誰かのためになる、誰かが救われる。
そんな無駄のない好循環な世界があればなぁなんて思いますね。
利己主義と他利主義は表裏一体。
自分が金持ちになりたいから、仕事がんばります!→気づいたら周りも幸せになっていた。
周りを幸せにしたいと思って仕事がんばります!→気づいたら自分も金持ちになっていた。
もう、どっちでもいいよねwww
でも同じ事言ったら叩かれるのは前者。だからトランプも叩かれてるわけだ。
話それた。
つまりは、何が言いたいかって、チャリティーカットを通して社会貢献しようと思ったら、逆に自分の心が満たされましたよって話。
それ書くとリア充っぽく聞こえるけれど、発信することによって、私もやってみようかなぁなんて、好循環が社会に起きればなぁなんて思ってこれを書きました。
だからこそ全ての感性が繊細になり、生き物と触れ合うこと、生と死を感じること、すごく人間らしく生活できた期間でした。